さばぺんタイムス

音楽と、本のレビューを中心に、その他もろもろを取り扱いたいです。

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「なぜ、私たちは余裕がないのか?」を考えよう。序論

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はいどうもーヽ(゚∀゚ゞ)!

砂漠のペンギンです。

 

この前、「ちがいについて書きたい」ということを言っていたのですが、善は急げ。さっそく、始めてみることにしました!!

(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ

 

さきにおことわりしておきますが、ブログの趣向が1080度くらい変わります!!

ごめんなさいガマンできない男で!!ほんとはずっとこういうことしたかったの!!

\( 'ω')/ウオオオオオアアアーーーッ!

 

でも、マンガと音楽の記事も思い立った時に書きたいなー。

 

というわけで、8000字を越えました、今回の記事をどーぞご覧くださいませ。

(*ノωノ)キャー

 

 

 

もくじ。

 

 

1.はじめに...電車に挟まる女子高生から

 突然ですが、「電車に挟まる女子高生」の動画を皆さんご存じですか?

 

 知らない方は、インターネットに拡散されているようなので、ぜひ1度調べて、見ていただきたいと思います。

 

 「電車に挟まる女子高生」で検索すれば出てきます。これが肖像権違反になるのかよく分かりませんので、ここには載せません。検索してみてください。

 

 

ー動画をご覧になった方は、続きへどうぞー

 

 

 いかがでしたか?なかなか、ショックを受けますよね。だって、あんな行動起こそうという気持ちに私はそうそうなれませんから。

 

 近年、中高生のネットリテラシーでは教育現場でも課題になっています。「誰も見ていない」という感覚での投稿が、思わぬ事件を引き起こすということは口酸っぱく言われているはずでしょうが、こういった動画の投稿は後を絶ちません。

 

 ただし、残念ながら、大人もこのリテラシーをいまいちよく理解していない節があります。「インターネットに自分を載せる」という実体験が無い人がほとんどでしょうから、当たり前と言えば当たり前なのですが、「理解していない人が」「理解していない人に」教えたところで効果はわずかですし、子どももそれを理解していますから、「何も知らないくせに」となるでしょう。効果は半減です。

 

 

2.私がショックを受けたこと

 ところで、私がショックを受けたのは動画の内容だけではありませんでした。それは、大きく分けて2つ。

 1つは、「女子高生たちに対する追求のしつこさ」。もう1つは、「めざましテレビ』がこの動画をニュースとして取り上げていること」でした。順を追って説明します。

 

2-1.女子高生に対する追求のしつこさ

 「電車に挟まる女子高生」で検索をした方は既にお分かりと思いますが、インターネットの世界では既に彼女たちの通う高校や名前が特定されていました。私もこの記事を書くために検索をかけたのですが、正直、高校名や名前が検索のトップに出てきたのは驚きでした。それなりに探せば出てくるのだろうな、と予想はしていたのですが、こうも簡単に見つかるとは。

 

 検索トップに出てくるということは、「多くの人がこの情報を探し求めている」ということです。

 

 さて、私はこの記事を書くにあたって、検索をかけた時に「動画だけ見れればいいや」と思っていました。なぜなら、私が書こうと思っていたテーマは「個人情報を守りましょう」といったことではありませんでしたし、そもそも私は彼女たちの通う高校や名前には全く興味が無いからです。知ったところで何になるのでしょうか?

 

 あなたはこの動画を見て、「ひどいことをするやつがいたもんだ」と思うかもしれませんが、そこであなたは、彼女たちの通う高校に電話をかけ、彼女たちはこれこれこういう法律に違反しているおそれがあるから罰してほしい、とお願いをするでしょうか。あるいは、高校が近ければそこに直接乗り込むでしょうか。

 

 もしそうならば、ぜひよく考えてほしいものです。「まあ、ちょっとまて」と。

 

2-1-1.「ちょっとまて」その1、あなたに権利はあるのか

 彼女たちのやっていることが何らかの「ルール」に違反するということは想像がつきますが、私はそれが果たしてどんな名前の「ルール」=「法律」なのかはさっぱり見当がつきません。ちなみに、検索トップの記事には、彼女たちの行為がどのような法律に違反しているおそれがあるのか、ご丁寧に弁護士の解説付きでつづられていました。

 

 法律に違反しているだろう、というところを知った所で、彼女たちを罰してほしいと私は願い、行動しようとは思いません。だって、彼女たちの行動は私に直接の影響を及ぼしたわけではありませんから。

 

 例えば私がこの電車に乗っていて、彼女たちの行為によって出勤時間に遅れてしまい、何らかの懲戒を受けた。というのであれば、私は全力でもって彼女たちの行為に罰を与えようとするかもしれませんが、今回私にそういった権利はありません。

 

 さて、あなたには今回、彼女たちを追い詰める権利はあるのでしょうか。

 

2-1-2.「ちょっとまて」その2、あなたに必要はあるのか

 ひょっとしたら、「彼女たちの行為をこらしめることで、世間から少しでも犯罪が減るかもしれない」という正義感からそのような行動に出る方がいるかもしれません。

 

 しかし、たいへん恐れ入りますが、それは既にめざましテレビがあなたの代わりにやっていることです。彼らの行為を「社会的制裁」と言い換えてもいいかもしれません。

 

 そして、彼女たちの高校がよほど価値観のズレた高校か、あるいは彼女たちが高校において相当な権力を持つ者でなければ、動画を見て自分の高校だと気づき、犯人を捜し、罰を与えるでしょう。高校は義務教育ではないのですから。私は未来を予知することはできませんが、そのような流れは容易に想像がつきます。

 

 さて、あなたがこれ以上彼女たちを追い詰める必要はあるのでしょうか。

 

2-1-3.「ちょっとまて」その3、あなたに利益はあるのか

 あるいは、あなたは「悪いことをしたやつをこらしめるヒーロー」になりたかったのかもしれません。

 

 しかしながら、あの動画はテレビで流された以上、というよりはインターネットで世界中に投稿されている以上、何万人もの人々が見ていることでしょうし、その中にあなたと同じように考える人がいてもおかしくはありません。

 

 その時にあなたが受け取る「ヒーローとしての栄光」何等分かに小さく切り刻まれて世界中にバラまかれたうちの1つになることでしょう。そんな栄光を得てあなたは何をしますか?まさか、そんなに小さく切り刻まれた栄光を胸に飾り、意気揚々と職場に赴いたりはしませんよね?

 

 さて、あなたが彼女たちを罰するヒーローになって得られる利益はどれほどあるのでしょうか。

 

ちなみに、まさかとは思いますが、「腹が立っていて、誰でもいいからこらしめてスカッとしたかった」と考えたりはしていないでしょうね。それは、「ムシャクシャしてやった」という言い訳を述べる殺人者と同じ理屈ですよ。スカッとジャパンじゃあるまいし。

 

2-1-4.「ちょっとまて」をまとめると

ここまで考えれば、そうやって執拗に彼女たちを追い詰める必要がないことが理解できるでしょうか。なにせ、

 

(1)その場にいない以上、彼女たちを追い詰める権利もなければ、

(2)彼女らの高校が罰するであろう以上、彼女たちを追い詰める必要もなく、

(3)あなたの行為がありふれたものである以上、追い詰めて得られる利益もそれほどない

 

のですから。

 

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 もちろん、ここまで書いたことが杞憂であれば一向にかまいませんし、実際に通報した、という人を私は見たことがありません。

 しかしながら、個人情報を書いた記事が検索でトップに出てくるということは、この情報を知りたい人々が少なからずいる、ということでしょうし、残念ながら世の中には似たような事件がたくさんあり、実際に「個人情報を特定した」「通報した」と名乗り出るような人々もいます。果たして、それがどこまで本当かどうかは分かりませんが。

 なお、「それでも彼女たちを追い詰めることに意義がある」と考える方がいらっしゃれば、ぜひ理由を教えていただきたいです。

 

 普通は(と書いておきながら、私は「普通」という言葉はとても嫌いです)、ここまで考えることができるはずなのです。ところが、それができるほどの余裕が、人々には無くなってきているのか。あるいは、「ヒーロー」になることで、心に余裕を作ろうとしているのか。

 

 

2-2.めざましテレビがニュースとして取り上げていること

 さて、私がショックを受けたもう一つのことについてお話します。

 

2-2-1.ショックその1、めざましが、7時のトップに、女子高生

 私がこの動画に出会ったのは、「めざましテレビ」の7時のニュースのトップ。私はこのニュースを「『めざましテレビ』で見た」ということが何よりもショックでした。なぜなら、私の知っている「めざましテレビ」は、こういったものをトップに取り上げる様な番組ではありませんでしたから。

 

 朝のニュース番組がわざわざこのようなニュースを取り上げるということは、このニュースはかなりの人々が求めている、ということです。

 

 そのように世の中が変わってきているということに、私はこの番組を見るまで全く気付きませんでした。このような騒動は、あくまでインターネット上だけのものだと思っていたからです。私からすれば、よっぽど今の日韓情勢であったり、アメリカとイラン(とサウジアラビアイスラエル)のゴタゴタであったり、あるいは「老後に2000万」の根拠が結局なんだったのか、の方が気になるのですが。というか、そもそもこの時期に選挙のニュースがトップに出ないのも驚きです。

 

 私が最近になって「めざましテレビ」を見るようになったのは、朝の時間に余裕ができたからです。ここ5~6年は、朝の時間はとてもじゃないけれど余裕がなく、「めざましテレビ」を見る機会などありませんでした。このような機会がなければ、私はこのような社会の変化にすら気付くことができなかったのです。

 

 ちなみに「めざましテレビ」では、「目が覚めるような映像ニュース」というコーナーが設けられていました。なるほど番組のタイトルに合った的確なネーミングだと思いましたが、こういったコーナーは昔はなかったように記憶しています。

 

 「自分に余裕がない」ということに気付いたとき、私は私だけが時代の流れに取り残されているような気分になりました。

 

2-2-2.ショックその2、「BATH」を知らなかった

 その後のニュースで、「中国の企業が『歩く姿認知機能』を開発した」というものを見てから更にその思いは強くなりました。そもそも、私はこの中国の「テンセント」という企業のことをよく知らなかったからです。

 

 よくよく調べてみると、いま中国には「BATH」と呼ばれる巨大IT企業が存在しており、「GAFA」に対抗しうる存在になりつつある、ということ。5Gをめぐる一連の対立や、「GAFA」の存在はかろうじて知っていた私ですが、中国がここまで発展してきているということには驚きを隠せませんでした。「HUAWEI」と「ファーウェイ」が一緒だった、ということも最近知ったことです。

 

 曲がりなりにも「社会」を教える仕事をしている私にとって、これほど致命的なことはありません。

 

2-2-3.ショックその3、「発展途上国」はもう古い言葉だった

 最近時間ができたおかげで読むことができた「FACTFULNESS」という本には、「発展途上国という言葉はもう古い」と、説得力のあるデータと共に書かれています。

 おまけに、この本の著者であるハンス・ロスリングさんは、この主張を10年以上前から行っています。もちろん、説得力のあるデータとともに。

 

 「発展途上国」という言葉をさも当たり前のようにつかっていた私には、この本は衝撃的でした。こうなると、その他の言葉も疑ってかからなければなりません。

 

 「アジアNIES」という言葉はもはや古いのではないか、インドはもはや「工業化」というターンをとうに越えているのではないか、もしかして、もしかして...。疑えば疑うほどキリがありませんし、自分の常識に自信がもてなくなった自分がショックでした。

 こうやって、ショックの山が積み重ねられていきます。

 

2-2-4.めざましショックのまとめ

 もちろんこれは極めて個人的なショックですから、あなたがどのように私のこの衝撃を捉えているかは分かりません。しかし、

 

(1)「めざましテレビ」では女子高生のニュースをトップで扱い、「動画」の1コーナーが存在する

(2)「BATH」と呼ばれる中国の巨大企業が、「GAFA」に対抗しうる存在になってきている

(3)「発展途上国」という言葉はもう古い

 

 といった事実を、果たしてどれくらいの人がちゃんと理解できているでしょうか。あるいは、理解するだけの余裕を持てているのでしょうか。

 

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3.「なぜ、私たちは余裕がないのか?」を考えよう

 さて、私は、私自身への自戒も込めて、この言葉を深く考え、追求しようと思い立ちました。

 

「なぜ、私たちは余裕がないのか?」

 

 女子高生のニュースを追っているうちに、「余裕がないのは私だけではないのではないか」と考えました。もちろん、職場の様子を見ていれば、そんなこと手に取るように分かるのですが。しかし、国全体ではどうなのでしょうか。

 

 残念ながら、「余裕がない」と感じている人がどれくらいいるのか、正確なデータをもっていないので私はわかりません。統計局にデータを頼ろうとしたのですが、見づらいし分かりづらいしで相当時間がかかりそうなので、また今度にしたいと思います。

 

 

3-1.本当に私たちは余裕がないのか、データを見てみよう

 手っ取り早いものが見つかりました。博報堂生活総合研究所の行っている「生活定点」です。ただし、首都圏と阪神圏のみでの調査ということなので、地方ではどのようになっているのかは分かりません。

 

seikatsusoken.jp

 「暮らしゆとり4類型」という調査項目があります。

 

 これによると、「経済的余裕も、時間的余裕もある」という人の割合は30.6%。ですから、どちらかに余裕がない、もしくはどちらも余裕がない人は全体の7割近くを占める、ということになります。「余裕がないのは私だけではない」という予想は、あながち外れではなさそうです。

 

 そして、「心の豊かさやゆとりある生活に重きを置きたい」という人の割合は83.1%です。多くの人が、余裕を求めていることが分かります。

 

 なお、重ねて言いますが、首都圏と阪神圏のみでの調査ですから、地方の現状はこの調査からは読み取れません。

 

 これはあくまで私の肌感覚ですが、地方では「経済的余裕も、時間的余裕もある」という人の割合は減るような気がします。これについての調査データがあれば、どなたか教えていただけると嬉しいです。

 

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3-2.私たちに余裕がない、3つの視点

 話を戻しましょう。「なぜ、私たちは余裕がないのか?」です。

 

 私は、このテーマを考えるにあたって、個人的な経験から3つの視点を立てることにしました。

 

(1)金銭的な余裕がない

(2)時間的な余裕がない

(3)心の余裕がない

 

 この3つが、「なぜ、私たちは余裕がないのか?」を考えるうえでのキーポイントになるのかなと考えております。3つ目がやや異質に見えるかもしれませんが、なぜこの項目を設置したかについては、「7.余談」のほうをご覧ください。

 

 

4.これから私がやろうとしていること

 

 この柱に基づいて、私はこれから「なぜ、私たちは余裕がないのか?」というテーマについて、このブログを使って考えていきたいと思っています。

 

 そのために、いろいろな本であったり、データを見ての考察・感想を書いていこうと思っています。すぐに結論を出すつもりはありません。少しずつ、少しずつ。

 

 そして今考えているのは、最終的に、これをどうにか「授業」のような形でまとめることができないだろうか、ということです。「分かりやすく、簡潔に」。

 

 もちろん、「授業」は私一人では成り立ちませんから、一緒にこれを考えてくれたり、話を聞いてくれる方が必要です。そこで私は、ブログを使ってみることを思い立ったわけです。

 

 ここに記録していくことで、ひょっとしたら関心を持っていただける方が増えていくかもしれないし、私だけでは解決できない課題を誰かが解決へ導いてくれるかもしれない、というわずかな期待を胸に。

 

 本当はもっと身近にローカルな仲間がいると心強いのですが、今の時代にそれこそ「余裕」をもってこの課題に取り組めるような人は私の周りにはいません。残念ながら私にそのような仲間を集める力もさほどありません。

 

 もっと「分かりやすく」言えば、お金になるか分かりません。私はこのテーマならお金になるような気がしているのですが。

 

 

5.おわりに。ぜひ、シェアしてほしいのです

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

 

 興味をもっていただけたら、ぜひこの記事をいろいろなところでシェア、共有していただけると嬉しいです。

 

 そうやって、このテーマについて考える人が一人でも多くなってくれればと思っています。それが理想です。

 

 前途多難も甚だしいこの状態ですから、ひょっとして明日には投げ出しているかもしれませんが。というのは冗談ですよ。

 

 なお、「なぜ余裕がないのか?」という問いについて、実はすでに私なりに仮説を立てています。ですが、まだまだこの仮説は貧弱もいいところ。このブログは、この仮説を揺るぎないものにするまでの、そこにたどり着くまでのながーい旅路、といったところです。それについては、また今度書きます。

 

 もしも、「この本は考えるのにいいと思うよ」「こんな統計あるよ」というのがあったら、教えてください。参考にさせていただきます。

 

6.まとめ

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 ここまで書いて思ったのだけど、既にこういうことを考えている人がいたらどうしよう。なんて。まあ、5文字だったらなんぼでもコピーできるだろうが、何十万文字も書いて考えたうえで50分×10本ぐらいにまとめりゃ、誰にもマネできないだろう。よっしゃ、こうなりゃヤケだ!あとぶっちゃけマジでこの先続くか分かんねえ!!更新止まったらケツ蹴り飛ばしてくれ!!あるいは失踪したかだ!!弱気!!!

 

 

7.余談

 ここからは余談です。

 

 ここまで読んでくださった方(あなたが最高です、ありがとう)はお分かりいただけるかと思うのですが、個人的に最も関心があるのは(3)です。(1)(2)は「見える」ものである一方、(3)については「見えない」ものであるからです。「可視化できるか、できないか」という言葉に置き換えることも出来るかと思います。

 そして、冒頭で取り上げた「必要のない攻撃を執拗に行う」という行為について、実は(3)がかなり深く関わっているのではないかと考えているからです。

 

 当たり前ですが、金銭的な余裕も時間的な余裕もないのであれば、心の余裕が無くなるのだから、(3)は(1)(2)と同義ではないか?と考えるのは当然のことでしょう。

 実際、(1)(2)が充足できていないのであれば、(3)が充足できていないであろうことはなんとなく想像がつきます。

 

 しかし、金銭的にも時間的にも余裕があったとしても、心の余裕があるのか?と考えると果たしてそうとは言い切れないのではないでしょうし、心の余裕がないからこそ金銭的・時間的な余裕が生み出せない、と考えることもできるのではないでしょうか。

 ひょっとしたら、金銭的・時間的余裕が無くても、心の余裕がある人もいるかもしれません。

 

 ややこしいことを言っているようですが、要は「100%そうと言い切れるのか?」ということです。

 

 数学で、こういうものがありましたよね。「AならばB」というものです。それに置き換えて考えてみましょう。すなわち、「経済的・時間的余裕がある ならば 心の余裕がある」は、成り立つのでしょうか?

 

「経済的・時間的余裕がある ならば 心の余裕がある」

「経済的・時間的余裕がない ならば 心の余裕がない」

「心の余裕がある ならば 経済的・時間的余裕がある」

「心の余裕がない ならば 経済的・時間的余裕がない」

 

 と、4つのパターンが成り立つかどうか?について考えてみればいいのではないかと思います。いずれも、真とは言い切れないのではないでしょうか。

 

 なお、数学は苦手なので、この例えで伝えきれているのか自信がありません。「例えになってない」「間違いを見つけた」「いや、よく分かんない」という方は、ここまでの数行は全て忘れてください。時間を取らせてしまい申し訳ありません。

 

 残念ながら、私はこの「心の余裕」というテーマについて確固たるデータを持ち合わせていませんし、調査するだけの地位も、力もありません。それに、心の余裕を作ることでタイトルのテーマが解決する、とも言い難いのが実情だと思います。

 

 ちなみに、私は(3)について、かなり個別に深いところまで立ち入ろうかと考えています。とくに関心があるのは、発達障碍。それから、宗教です。彼らの見る世界は、「心の余裕」を考えるうえで相当なヒントになり得ると思っています。