さばぺんタイムス

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「社会を変えるには」読みました。7年経って社会は変わったか?

 

社会を変えるには (講談社現代新書)

社会を変えるには (講談社現代新書)

 

とーっても漠然とした「社会を変えるには」という問い。でも、この漠然としたタイトルに多くの人が惹かれたからこそこの本は大いに売れましたし、小熊さんも「日本社会のしくみ」を出せたんだろうなあ。新書とは思えない分厚さ。ふつー出さないよ。

 

で、大いに売れた、多くの人が惹かれた、ということは、きっとそれだけ「社会は変わった方がいいんでない?」という人が多い(多かった)んでしょう。最近は時間感覚もだんだん変化してきていて、この本が7年前の本だというのがオドロキもものきクローバーゼーーットって感じなんですけど。

 

本書は、全体的に左の方向から、世の中について「実際変えた方がいいのか」「今まで変えようとした人たちはどうなったのか」「なぜ変える必要があるのか」「どうすれば変えられるか」ということを、ありとあらゆる資料を引用して書いています。7年前「新左翼」と呼ばれている人たちに興味のあった砂漠のペンギンは、この本にそこら辺の話が詰まっていたので「あざっす!」って思ってました。

 

「どうすれば変えられるか」という結論は、分厚いわりにありがちなものになるんですけどね。ただ、そこまでたどり着けば、いわゆる「スタンダード」と呼ばれるものがどうやって生み出されるのか?ということがよく理解できると思います。表面上だけのものはすぐ廃れるんだよね。

 

 

さて、7年経って社会は変わったのだろうか?ある視点では変わったなあと思いますし、ある視点では変わってないなあと思います。ただ、多分小熊さんの考える様な社会にはなってないんじゃないかなあ。

 

砂漠のペンギンから見ると、世の中は「断絶」が進んでいるような気がしてなりません。「対話」をあまりに広範囲に求めすぎた結果、みんな「対話」に疲れているようにも感じられます。その一方、近しい人、自分の「対話」を濃く受け入れてくれる人などとは、飽きることのない「対話」ができます。そうやって「断絶」が進んでいくんです。地方で働いて、そういった「断絶」がまだ少ない社会を経験したことで、この感覚はかなり強くなりました。

 

早い話が、どいつもこいつもニッチ化しすぎなんですよね。「個性」と言えば聞こえがいいけど、行き過ぎた個性は孤独を招くし、無知も招いてしまいかねないんですよ。ストライクゾーンがアホみたいに狭ければ、そりゃ恋人も出来ないし、結婚もしないから、子どもだって減るんです。無知が招くのは、ワルいやつらです。

 

 

ところで、この本を読んだ人たちは、変えようとしたのだろうか?もしくは、今も変えようともがいているのか。どうか、自分の知的好奇心を満たしてハイ終わり、にならないように。社会を変えるには、行動するしかないのです。

 

www.newsweekjapan.jp

 

ァディオ───(`・ω・´)ノ───ス