さばぺんタイムス

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「武家と天皇」読みました。お家断絶の危機を乗り越えた「神格性」

 

武家と天皇―王権をめぐる相剋 (岩波新書)

武家と天皇―王権をめぐる相剋 (岩波新書)

 

 

 

 ずいぶん前に出版された本ではありますが...

 

昨日の記事と併せて読んでいただけるといいと思います。

 

www.sabapen.net

 

昨日ご紹介した「天皇125代と日本の歴史」は、天皇という視点から日本の政治史全体を見渡すよ、という本でした。

 

今回ご紹介するこの「武家と歴史」は、足利義満の時代から江戸時代に至るまでの「武家」と「天皇」の関わりを見てみるよ、という本です。

 

昨日の記事で触れたとおり、学校で学ぶ歴史においては「天皇」という存在は出たりひっこんだりを繰り返しています。とくに、室町時代や戦国時代、江戸時代といった時期においては、あれ天皇どこいったの?と思ってしまうぐらい影の薄い存在です。

 

そのため、「武家」と「天皇」の関わりというのは見えづらいものです。中学歴史ぐらいだと、承久の乱は学んでいるでしょうが、それが「天皇側の反乱」だったことまで理解している人はそこまでいないのではないでしょうか。

 

ところが、実際にこの時代をちゃんと覗いてみると、天皇の存在感というのはなかなか大きいものになっていることが見えてくるのです。すごくザックリ言えば、武士チームは「えらい」の保障を天皇にやってもらうことで、はじめて「えらい」になれていたんだよ、ということなんですね。

 

言われてみれば、豊臣秀吉徳川家康は死後「豊国大明神」「東照大権現」といった神様にジョブチェンジしましたけど、そもそも神様になるには天皇が「神様になってもいいよ」と言わなきゃいけないんですよね。日本の八百万の神のボスは天皇ですからね。それに、「関白」とか「征夷大将軍」なんていう地位も、そもそもは朝廷のものですし、彼らはそういった地位を手に入れるために「源」とか「平」という姓をわざわざくすねてきたわけです。

 

ひょっとしたら、豊臣や徳川自身が「天皇に成り代わる」といった未来もあったのかもしれませんが、そういった選択が現実に行われることはありませんでした。そのあたりは、天皇の強烈な「神格性」を感じずにはいられませんし、なんやかんやで朝廷とか貴族はそれなりに力、というかポジションがあったんだろうなあ、と。「秀吉、めっちゃ天皇に憧れてた説」みたいなのもありますし。

 

ちなみに、唯一足利義満はマジで天皇に成り代わろうとしてたっぽいよ!!とこの本では記述されていますが、「天皇125代と日本の歴史」の方では、「いやあそこまでは...」ということで否定されております。見比べると面白いかもしれません。

 

天皇125代と日本の歴史 (光文社新書)

天皇125代と日本の歴史 (光文社新書)

 

 

というわけで、昨日と今日で続けて「天皇」関連の本をご紹介させていただきました。歴史を学ぶにあたって、やっぱりこの辺りはちゃんと学んだ方がいいんじゃないかなあ、と思った次第です。その神格性ゆえ、なかなか避けられがちではありますし、実際戦前には都合の悪い研究をしていた歴史学者が捕まったりもしていますからね。

 

デリケートな話題ではあるのですが、デリケートだからこそ、触れる価値があると思います。もちろん、「諸説あり」ということはお忘れなく、でございます。

 

ァディオ───(`・ω・´)ノ───ス