さばぺんタイムス

音楽と、本のレビューを中心に、その他もろもろを取り扱いたいです。

さばぺんタイムス

「『子供を殺してください』という親たち」が描くのは、「子供」たちの成れの果てと、そのルーツ。

さて、「健康で文化的な最低限度の生活」に続いて、今回も「体力の要るマンガ」をご紹介しようかと思います笑

 

ちょっと前に1度書いたことがあるのですが、加筆いたしました。「見覚えあるなぁ...」という人もいるかもしれません。その時は、「おっ」と思っていただけると幸いでございます。

 

 

 

もくじ。

 

 

「殺してほしい」と願われる子とは

取り扱われているテーマはタイトルの通り、「子供をなんとかしてほしい」という親の相談に乗ることを仕事にされている方のお話です。

 

1巻の表紙は、背中にカッターナイフを隠す女子高生。

 

ほうほう、こりゃヤバい子供(たぶん10代)がいっぱい出てきそうだな、と砂漠のペンギンは思いました。

 

そして、その子供に悩む親と、子供をなんとか助けてやろうとする大人の話なんだろう...「夜回り先生」みたいなね...

 

 

 

...と思っていると、表紙にだまされました。

 

読むと分かりますが、このお話に登場する「子供」というのは、若くて20代前半。

 

14話の時点で、全員が成人済みです。中には52歳男性なんていうのもあります。

 

ということは、「子供」を殺してほしいと願う「親」というのも、(だいたいは)子育てを終えた50代以降、ということになります。

 

ただ、「なーんだ」となるかというと、決してそんなことは無いと思います。なにせ、出てくる「子供」は全員キョーレツな人ばっかりです。

 

具体的にご紹介しましょう。

 

1話目に登場する「子供」は、自宅の庭で、フルチンでバットを振っています。

 

しかも真っ昼間から。そういう「子供」です。そういう、キョーレツな「子供」たちをなんとかしてやろうという大人、「押川剛」さんの話です。

 

 

「俺がこうなったのは誰のせいだ」

ここで注目してほしいのが、マンガのタイトルです。

 

このマンガにおいて描かれているキョーレツな「子供」たちは、かなり目を引きます。それはマンガとしての「ウリ」でもあるのだと思います。

 

しかしながら、メインテーマはその「子供」たちではありません。

 

このマンガにおけるテーマは、「親」なのです。

 

その証拠に、1話目の最後で、主人公?である押川さんがしゃべる言葉があります。

 

このマンガで何を描きたいのか?ということの意志表明のように感じられました。

「子供を殺してくれませんか」・・・

 これらはすべて俺のところへ相談にやってきた親たちの言葉だ

しかしそんな親たちは いまの自分の姿こそが

長年の積み重ねの結果であることを忘れている

表面的な事象にとらわれ ぬくもりや人間味に欠けた育て方をすれば

問題行動として必ず跳ね返ってくる

それは子供たちの心の叫びだ

親たちへの復讐だ

 

「親」です。

 

どんな子供でも、親の影響を受けます。親の影響を受けない子供は、いません。捨てられたのなら、「捨てられた」ことが子供のアイデンティティとなります。会話したことが、あるいは会話しないことそれ自体が、子供を作ります。必ず、どこかでかかわりが生じているのです。

 

1話目こそ、この「親」のかかわりはかなり暗示的に描かれていますが、2話目以降は、これこそが主題になっているように感じます。

 

フルチンバットマンがトップバッターなこのマンガですが、2話目以降に登場する「子供」たちもなかなかのもの。だいたいは家に引きこもり、暴言暴力のオンパレード。向かう先は、「親」です。

 

印象的なのが第2話。酒をやめられない「子供」。それをとがめる「親」に対して、「子供」が言い放ったセリフです。

大体 俺がこうなったのは誰のせいだ…

おまえたちの育て方が悪かったせいだろう…

 

一見するとありがちなセリフのようにも思えてきます。が、こういったセリフは「どうにもならない人間」を描くときによく使われがちなような気がします。

 

話を読み進めていくと分かりますが、この「子供」のセリフは、ありがちなようで一つの真理をついている時があります。 

 

 

気付いてほしい

「親」のかかわり、その環境が、「子供」に何を引き起こしているか?その成れの果てに、何が待っているのか?「親」にとって、1番必要なものとは何なのか?その事実が、このマンガではありありと描かれています。

 

私は、こういう子どもたち、あるいはこういう親たちによく会うことがあります。もちろん、子どもが問題を抱えるとき、100%全てが親の影響だとは思いません。一方で、少なからず「親のかかわり」が理由で問題を抱える子どももいます。それを経験しているせいか、このマンガにはかなり強い共感を覚えました。

 

だからこそ、重い気持ちになります。私のかかわる子供たちの先に、このマンガのような展開が待っているんじゃないか、とすら思ってしまうのです。願わくば、このマンガのような展開を迎えない家庭であってほしい。だからこそ、親には気付いてほしい。

 

ぜひ、たくさんの方に読んでほしいマンガです。ノンフィクションの文庫版もあるそうなので、そちらでもぜひ。

 

  

「普通」ってなんなんでしょうね

話が変わるんですけど、こういうマンガを読むたびに思うんですよね、「普通」ってなんなんだろうって。

 

「普通」とか「当たり前」っていう言葉が私は本当に好きじゃなくて、「普通に考えたら分かることじゃん」とか、「みんな当たり前にやってることだよ」とか、そういう言葉を耳にするたびに、

 

「普通」っていうのは誰から見た「普通」なの?

 

って思っちゃうんですよね。

 

言葉の意味として分からないでもないですし、その言葉を使わなければ成り立たせるのが難しい場面があるというのも十分に分かるのですが。

 

この言葉って、知らず知らずのうちに「囲い」を作っているような気がするんですよね。

 

もっと分かりやすく言いますか、「ムラ」。

 

それぞれの「ムラ」の中に「普通」があって、それに当てはまらない人は追い出されちゃう。

 

そんな環境ってあると思うし、ここまで書いて気付いたのは、私自身の「普通」も、知らず知らずに誰かを追い出してるのかもしれないなあと。

 

「追い出す」「囲う」の文脈が存在しないのならともかく、世の中ってどうしても多数派の「ムラ」があって。

 

「ムラ」ってカタカナで書くと分かりづらいですか、「村」ですね。

 

この本に登場してくる「子供」たちなんか、絶対この「普通」という言葉に苦しんでると思うんですよ。

 

「普通村」に、なじめない自分。そこがメインじゃないと思うので、あんまりマンガの中では描かれてないですけど。

 

前回紹介した「健康で文化的な最低限度の生活」の登場人物たちにも、それがあると私は考えているんですが。

 

これ、どうにかならないかなあ。

 

...ということを、よく考えたりします。

 

 

話がそれましたよ!!相変わらず!!

 

やっぱり読んでほしいなあ。よろしくお願いします。