さばぺんタイムス

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「それでも、生きてゆく」小4方向性決定問題解決のために必要なのは「人手」です。

note.mu

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教育現場的には、冒頭の記事に書かれているような子どもたちの問題は、第一に人が増えれば解決する。こういう子がいたとして、まずはこの子に個別の学習支援を行う担当の先生が1人。次に、この子の親に対して特別に働きかける担当の方(おそらく、役所の人)が1人。とりあえずこれでこの子は救われる。まあ、親にもいろいろいるから、4~5人で1人の親に代わる代わる働きかける、とかしないと大変だと思うけど。

 

この子が救われないシチュエーションというのは、例えば担任の先生が気付いたけれど、支援をするだけの時間的余裕もなく、親に対して働きかけるだけの精神的余裕もなく、仕方ないから宿題だけ出すけど、この子だけでは解きようもなく、といったようなことが考えられる。これは、今現場で相当問題になっていることだと思う。

 

だから、人が増えればとりあえずは何とかなる。ただし、担当の先生にしても、働きかける方にしても、相応の知識と理解があるということが大前提。ここが実に難しくて、理解のない人、というのは本当に何もない。

 

試しにこういったことを役所なり学校なりに抗議してみるといいと思う。「なぜ、彼らを救ってあげないのか」と。おおかた、「努力している」という返答が返ってくることと思うし、それは事実である。それでも救われない子がいるのは、人手が足りないから。

 

ちなみに、こういった人手と時間をかければ救われる子たちというのは、家庭に問題を抱えていることが多い。ここにガツンと怒鳴り込んで「あなたのやっていることは~」みたいに言うのはいかにもドラマチックだけど、教員がこういった子の私生活にガッツリ介入する金八先生的な行為は、近年の現場ではあまり好まれない。

 

なぜ?理屈の上ではそういったことは「教員の仕事ではない」から。なにせ、その行為に対してもっともらしく苦情を言ってくる親も、役所も、議員も、世の中にはたくさんいるし、世間は教員の行動を隅々までネガティブに監視するようになってしまった。熱血教師を1人潰す方法など、今や世の中にはいくらでもある。

 

「それでも」と、自らの職(と家族と将来)を賭けてまでその子を救おうとする教員、言い換えれば「社会人」はどれだけいるというのか。そんなことやっていたら、たちまち教員の数は激減するだろうし、教育の質は低下していき、それどころではなくなってしまうだろう。

 

「教師がだらしないからそうなったんだ」ある意味ではその通りかもしれませんが、そうやって教師をひとくくりに叩きまくった結果何が起こってるかはご理解いただきたい。

 

 

ちなみに、子によっては時間と人をかけても解決しないパターンというのもある。そういった子たちは、往々にして学んだことを忘れてゆく。中学程度の知識を「実生活に結びつける」ことはかなり難しい。(難しいという言い方をせざるを得ない)

 

よって、個別の支援をしたとして、「ワークを繰り返し解かせる」といったような行為は、ハッキリ言ってその子らにとっては苦痛でしかない。「それでも」というのなら、かけるべき人数はもっと増えるし、それ以上にその子の「忍耐力」が必要になるが、だいたいこういった子の集中力には限界がある。あるいは、自分の「苦しさ」を言葉で表現できない子、というのもいる。

 

こういった子については「それでも、生きてゆく」ための必要最小限の知恵を身に着けさせる、ということが最優先事項となる。例えば時計の読み方。買い物の仕方。ふとんの畳み方。モノの作り方。言葉の使い方。「割り算ができない」ということはここでは問題にならない。「生きてゆく」ために必要のない知識など山のようにある。そういった要らない知識を極限まで絞り込み、「生きるための知恵」を時間をかけて身に着けさせることを特別支援教育という。

 

特別支援教育が必要かどうか、というのはかなり早い段階で検査によって判定することができる。ちなみに検査結果は「1回やったら一生その判定のまま」というたぐいのものではなく、歳を取って「いけんじゃね?」となったら特別支援教育から外される場合というのもある。まあ、見たことないけど。

 

最近そういった子が増えている、というのはよく聞く話で、冒頭の記事では「発達障碍児は6.5%」なんていうデータも挙げられていたけど、単純にこういったことへの理解が深まっているからだと思っている。いじめの調査を徹底的にやるようになったら、むしろいじめが増加した、というのと一緒で、昔からそういう子というのは一定数いる。んじゃないだろうか。

 

ちなみに、そういったいわゆる「グレーゾーン」の子どもは1つの通常学級に2~3人はいる。もうちょっと増えると、小規模校ぐらいでは授業が成り立たなくなる。

 

 

まとめると、

・冒頭の記事で言及されているような子は、人手と時間が増えればそれなりに救われる。

・ただし、相応の知識と理解がないと、逆効果になりかねない。

・もちろん、それだけでは救われない子もいる。そういった子のために「特別支援教育」というものがある。

といった感じ。

 

 

じゃあ、次の問題は「そういったことを自分の仕事として選ぶ人材の育成」と、「人件費」ということになる。結局のところは、ここ2つがどうにもならないから、「どうすればいいのか」といろんな人が堂々巡りしてしまっている。あるいは、その現実から目を背けて「究極の理想」を探し求めている。

 

そんなもの存在しない。存在しないから、勉強ができる人もできない人も、同じように自分の将来に悩み、仕事に悩み、数々の挫折を経験し、時には死を選んだりする。悩まない人というのは、よほど鈍感か、守られているだけ。

 

そういった意味で、この世界に生きている以上、「我々」と「彼ら」、という壁など存在しない。みんな同じで、みんな違う。だから、こうやって分けるのはあまり好きじゃない。

 

それでも、生きてゆくというのが、現代に生きる私たちの精一杯だと思う。そんな世の中だからこそ、互いを理解することが必要で、互いを助け合うことが必要なんだよ。その前提が崩壊すると、植松聖のような人間が現れる。

 

と、いつも思っています。教育の世界に身を投じていた自分の持論です。