さばぺんタイムス

音楽と、本のレビューを中心に、その他もろもろを取り扱いたいです。

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「ケーキの切れない非行少年たち」と「当たり前」に思うこと

 

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まだこの本を読んだわけではないのですが。

 

一見センセーショナルにも思われるタイトルですが、たぶんこの本は、熱心な教員の方なんかが読めば「ああ、そりゃそうだよね」となるのではないかなと思います。

 

教育現場に出てみると、こういった子どもたちって結構いるのです。

 

「当たり前」を教えようにも、そもそも「当たり前」の観念が分からないのですから、そりゃ周りと上手くいくはずがありません。

 

そのことに気付かないのならまだ救いがありますが、こういった子たちは自分がなんとなく「ちがう」ことにはとても敏感です。

 

そういった思いで、彼らは自分自身を傷つけたりもします。「自己肯定感」と言えば、ちょっと前からよく使われるようになった言葉ですね。

 

それが例えば自殺につながったり、非行につながったりしていく、ということになるんですよね。

 

 

目次を見ると、そういった子たちに「どうやって『当たり前』を教えるか?」というのが、恐らくこの本のテーマなのだと思います。実際に現場においてもこれは日々の悩みの種になっていることと思われます。

 

こういった議論を見るにつれ、いつも私が思うのは、「なぜ『当たり前』を教えなければならないのだろうか?」ということです。

 

まあ、学校ってそういう役割だし、そういうようにできてるので、分かるっちゃ分かるんですけど。

 

そこで「『当たり前』を教えなければならない」に固執してしまうと、逆に子供たちを苦しめることになってしまうこともあると思うのですよ。

 

それについて肯定的な意見もあります。「みんな悩んで育っているんだ」「誰だって苦しむ瞬間はあるんだ」と。

 

ただ、こうも思います。彼らはなぜ、生まれもったちがいのせいで、苦しまなければならないのでしょうか。

 

「当たり前」の人たちだって、当然に苦しむ瞬間がありますし、壁にぶち当たって、乗り越えていくんだという感覚もとてもよく分かるのです。

 

ただ、そういったものと、この「苦しみ」は、明らかに質のちがうものです。

 

そしてそれは、「『当たり前』を教える」だけでは往々にして解決できないものです。

 

それが非行を誘発する可能性すらあるのです。(正直に言えば「非行」という言葉もあまり使いたくない)

 

それに、こういった子たちはマイノリティになりがちだし、どうしても見落とされたり「この子はそういう子だから」と置き去りにされてしまうこともあります。

 

それでは、ダメだと思うのです。

 

そうならない枠組み、そうならない社会が、必要だと思う。

 

 

この本、読んでみようかな。読んだうえで、もう一回ブログに書いてみたいと思いますね。

 

そのときに、砂漠のペンギンが考える「当たり前」について、もうちょっと書いてみます。「そうならない社会」がどんな社会か、というのもね。

 

ァディオ───(`・ω・´)ノ───ス